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やっぱりここが一番!

永代橋特集

永代を取り上げるにあたり、この地区のシンボルとして欠かせない永代橋」。

時代を超え、永くこの街を見つめ続けてきたこの橋には

どんなヒストリーがあるのでしょうか。

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​永代橋の歴史

 最初の永代橋は、1698年に江戸幕府5代将軍 徳川綱吉の誕生50年をお祝いする記念事業として建てられました。現在の橋よりも100メートルほど上流に位置していたようです。橋ができるまで渡し舟で移動をしていたようですから、町の人々に重宝されたであろうことは想像に難くありません。

 架橋されてから約20年、綱吉の死後10年が経った1719年に、幕府は財政難から永代橋の廃橋を決めました。しかし、町の人々の嘆願により橋は条件付きで存続を許されました。その条件とは、町の人々の負担で維持管理をすることです。人々は通行料や、橋詰の市場の収益などで費用を工面するようになりました。

 橋が建てられてから100年ほどが経った、1807年に悲劇が起こりました。深川富岡八幡宮で行われた祭礼に駆けつけた人々の重みで、橋の東側の一部が崩落してしまったのです。死傷者は1400人ともいわれています。そのため、幕府の管理のもと永代橋は再架橋されることとなりました。

 それからまた時が過ぎ、1897年には現在の場所に日本初の鉄橋として架橋されました。頑丈な構造であったため、1904年には路面電車の運行も始まります。しかし、1923年の関東大震災の火事により、鉄橋であった永代橋は焼失は免れましたが、甚大な被害を受けました。

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 その後、1926年に震災復興事業として現在の橋が再架橋されました。私たちがよく見ているこの姿です。永代橋はドイツの橋をモデルとした現存最古のタイドアーチ橋であり、同時に日本で最初に径間長100メートルを超えた橋となりました。

 時は流れ、2007年。永代橋は勝鬨橋、清洲橋とともに国の重要文化財に指定されています。

参考資料

https://ja.wikipedia.org/wiki/永代橋 (2020年10月30日閲覧)

・『日本経済新聞』(2019年6月2日朝刊)

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